着てりゃいいだろが

私は服が苦手である。好きな服はあるのだが、好きな服を着ていい場面が限られている。例えば真っ赤なドレスやワークマンの真っ青なツナギ、ヤクザの鉄砲玉みたいな柄シャツのことを私はとても気に入っていて毎日でも着たいのに、会社に着て行くのはおかしいとされている。これがおかしい。しかし私は不幸にもそういう服を会社に着ていくのはやめた方がいいということを汲み取るだけの社会性を持ってしまっているため、全然好きじゃない服を着て会社に行っている。全然好きじゃない服のことを私は心で「ゴミ」と呼んでいるし服側もゴミ扱いされていることに気付いているはずだ。どうしてこんなに寂しい関係。あと服が素敵でも自分に似合うかどうかがギャンブルなところもいただけない。私は多分服のことが好きなんだけどゴチャゴチャ考えるのが極めて苦手ということなのかもしれない。着てりゃいいんだから何でもいいだろがと思っている。そもそも〇〇が××で△△なのが良くない、国家転覆人類滅亡みたいな話はこのあといくらでもすることができますけど今日のところはこの辺でおしまいにすることとします。

生活ってもしかして

今の家に引っ越してきてからしばらく経ったころ、少ない給料から毎月細々と気に入った調理器具を買い揃えていたとき、突然「こんなふうに少しずつ生活を良くしていけばいいのか!?」と気付いた。生活を変えるために全てを捨てて家出のように転居したり、生活を変えるために大量の家具やものを購入するのではなく、この街に来てから私がなんとなくしていたように少しずつ生活を良くする工夫をすれば少しずつ生活が良くなっていくのだ、ということを身体が理解した瞬間だった。

私は極端なので、気に入るものを一気に買い揃えて心を満たしたい、それができないならどうでもいいものを適当に揃えて目をつぶって使い捨てしたほうがいいし、転居(私は転居が多い)のときにもほとんど身一つで引っ越しできるからそちらのほうが楽だと思っていた。でももしかしたら生活というのは、この目の前の安い小さなコップが手放せなくて、何回転居してもそれを必ず持っていってしまうような、そういう手放せないささやかなものが彩っているのかもしれなかった。

その天啓のような衝撃が走る前は捨てたくないものというのはあまりなくて、あったとしても必要だから捨てたくない、もしくは現在はもう一般に出回っていない貴重なものだから手放したくないというものであって、心から離れたくないというような性質のものではなかった。むしろそういった心が移ってしまうようなものを避けていたし、避けていた理由はもの、物質に心が支配されるからだった。(同様の理由で私は家を購入する人のことがよく理解できていない。物理的に大きければ大きいほど心に影響する引力が強いためだ)でも今は支配、被支配ではない関係を物質と築けそうな気がする。というよりも、例え離れがたいものとの出会いがあったとしてもそれを支配という言葉では表さない気がする。そいういったことが日々わかってきています。

やるっきゃナイフ🗡

暇で暇でしょうがないときしかできないことと、忙しいはずなのになぜか差し迫ってする必要のないことをしてしまうことがあって、今この日記みたいな文章を書いているその瞬間は後者、このサイトのドメインを取ったときは前者。ちなみにドメインを取ったのは去年の10月である。

気持ちが千々に乱れて、というより意識が四方八方にめちゃくちゃ飛び回っているという方が正しいが、やたらそわそわしている理由は引っ越しをすると決めたことにある。

私は2年前までガチガチの限界集落に住んでいて、そのあとなんやかんやあって関西で働く予定だったのが最悪ウイルスが蔓延した影響で頓挫、気乗りしないまま今住んでいる土地に引っ越してきて2年が経った。2年て。今住んでいるところは気に入っているけどこの2年は飲食店に行ったり出歩くことを極力減らしていたからいまだに馴染みがない。ここはとてもいい街だけど、私はものすごく気に入っている家や土地でなければ2年おきに引っ越さなければ気が狂ってしまうという性質の持ち主で、しかしものすごく気に入っている家や土地ですらも4年住んだら限界がきてしまう。つまりそろそろ2年の限界が来そうなのだった。

引っ越しがだ〜い好きな私といえど引っ越しの手続きまでもだ〜い好きであるとは言えず、物件探しとか荷物の選別とかメルカリとか役所とか、まだ物件すらろくに決まっていないにも関わらず、それらの手続きがあると考えただけでもうだるくてだるくて仕方ない。でもやらないと気が狂って頭が爆発してしまうので、頭が爆発するのを回避するために頑張るしかない、やるっきゃナイフなのである。

話は変わるけど普段行かないスーパーに行ったらレジの店員さんが「花粉症です」と書かれたバッヂを着けていて大変ですねと思った。日曜日の昼くらいに行ったそのスーパーはおおいに盛況でこの中の人間のほとんどの人と私は一生会話をしないし手を握らないし住んでいるところはどこか、どんな家なのか、年齢は、どんな仕事をしていてどんなことを楽しいと感じるのか、最近一番面白いと思ったものは何か、一番綺麗だと思ったものは何か、どんな字を書くのか、どんな声なのか、全く知らないままであるということを思う。都会に来ると特に強く思う。だって家が多すぎる。人が多すぎるとも。大量の人間を養うために大量の人間が必要とされてる。だから何っつう話。それだけなんですけど。