雨の音で起きた。雨の音で起きるのはいい。物件の内見があってなんだかそわそわしている。午前中指定で荷物の集荷を頼んでいるから服を着替えておかなければならないとベッドの中でごろごろしながら考えていたら集荷が来てしまった。荷物は既にドアの外に出しておいたから控えの伝票を受け取るだけなのだが、ドアを細めにして受け取った手首はまだ長袖のパジャマを着ていてその可愛い花柄は明らかにパジャマのそれであった。
午前中の集荷が終わったら午後には内見があって、来週はまた別の予定があって、さらにその次の週は亡くなった知人のお悔やみに出かけないといけなくて、その次はお友達の家に遊びに行くのであって、ここに引っ越してからこんなに毎週予定がある週末は初めてだから気持ちが落ち着かない。私は本当に出かけなくなった。以前は1日にいくつも予定を入れることがあった。
先日、仲の良い友達と食事をしたのだが、数年来の友達で仲がいいのにも関わらず会う前の数時間緊張していた。以前はこんなことはなかった。たった2年人と会わない生活をするだけでこんなにも退化するのだと思った。以前山奥で1人で孤独に暮らしていたとき、久々に友達に会うぞという日でも緊張するなんてことはなかった。この緊張はいまよりずっと若いときや、子供のときに感じていたものに近い。今もそうだが、私は照れ屋、シャイ、はにかみ屋で、そういう自分のまわりに大人になるにつれフジツボのようにはり付いていた何かが薄くなって元々の性格がまた露出してきたように感じる。それが良いか悪いかは分からない。
この緊張は無理にご飯を食べすぎたときのような、業務上嘘をつかなければならないときのような(私はかつてその必要に迫られる仕事をしていた)、明らかに悪いことをしているときの居心地のなさがあり、身体中が痺れているというかうっすら電気を帯びているような気がする。過ぎ去ってしまえばどうってことないのに今はただ中にいるから過ぎ去るまではこの気持ちが続くのだろう。過ぎ去るのはいつだろう。身体がうっすら帯電していて漏電しているのか、エネルギーがじわじわ減っているような気がする。
自分の感覚が以前と違うというか、以前の自分より遠くなっている気がする。以前は即決できたのに複雑な回路を通らないとゴールに辿り着けない、直線距離で走らず迷路を行ったり来たりしないと辿り着けない。辿り着く過程でさまざまなものを見聞きしてそれは面白いが、それにしても遠くて遅いと感じる。